松本明子の芸能生活。その再現ドラマの撮影現場に亡き母が現れた!
金スマ波瀾万丈として、松本明子の芸能生活を振り返る。この特集の再現ドラマは高松にある彼女の実家で撮影された。撮影が始まり、母親役の女優が第一声を発した途端、家の中に有線放送の音楽が大音量で流れ出す。誰もスイッチを入れていないばかりか、5年前に解約されているはずだった。とっさにディレクターはスピーカーに向けて手を合わせる。すると、音楽は次第に小さくなっていき、やがて消えた。松本は亡くなった母がやってきたに違いないという。
宝塚が好きで自らも芸能界にあこがれていた母は娘にその夢を託して、明子をバレエやピアノ、日舞などあらゆる稽古事に通わせていた。やがて、彼女はのど自慢大会に出場するようになり、連戦連勝。地元の広告やCMにも起用されるようになった。
そんな彼女が出演したのど自慢の番組を見た東京のレコード会社からデビューの話が舞い込む。だが、デビューに向けてレッスンを続けていたある日、担当ディレクターが急死。そのまま、デビューの話も立ち消えになってしまう。
14歳の時、明子はついに単身上京を両親に懇願。父は反対するが、母は一緒になって頭を下げ、明子を東京に行かせてほしいと頼む。その思いが通じ、彼女は中学卒業とともに、上京することになった。
オーディションを受けては落ち、受けては落ちの末「スター誕生」に出場。徳永英明や本田美奈子を破って、グランプリを受賞。渡辺プロダクションに所属する。そして、ある日、レコードデビューが決まり、そのタイトルを告げられる──♂×♀×KISS(オス・メス・キス)。デビュー曲は売れなかった。母が買い占めしている香川県高松を除いては。
そんなある日、テレビとラジオ同時生放送の番組に出演するという大きなチャンスに恵まれる。ここで、共演した片岡鶴太郎は本番前、ある言葉を言えばスターになれると彼女に耳打ち。それを真に受けた彼女は思いっきり放送禁止用語を叫んでしまう。彼女はすぐさま、スタッフやマネージャーに羽交い締めにされて、スタジオからつまみ出された。
ここで、片岡鶴太郎からのメッセージビデオが流れ「当時はあまりの事の大きさに謝ることもできなかった」と言って、初めて謝罪の言葉を掛ける。
明子はそれから1年間の謹慎処分に。泣きながら実家に電話すると、母は「有名になれて良かったね」と声を掛けてくれた。その言葉に救われた彼女は気持ちを入れ替えて、仕事に頑張り始める。マネージャーからもバラエティ路線変更を勧められ、元祖バラドルとして、活躍するようになっていった。
その頃、母がガンに冒されているとは明子はまだ知らなかった。母が明子には絶対に知らせるなと言っていたのだ。
'93年、明子は両親を東京に呼び寄せた。すると、母はギャラ管理などを手がけるようになり、未納などあれば事務所の経理に直接電話するほどの強腕ぶりを発揮する。そして、'99年に入籍。その結納の席で、母は明子に仕事を続けさせてほしいと先方の親に頼み込む。
やがて、父が他界。'04年には母がまたガンに冒された。ある日、四国で映画のキャンペーンを終え、スタッフと食事していた時のこと、親戚から電話が入り、いよいよ危険らしいと告げられる。電話口の娘から声を掛けられた母は大きく息を吸い込むと、還らぬ人となったのだった…。
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