「電波少年」ヒッチハイク横断、本当は猿岩石が旅する予定じゃなかった!
1992年の放送開始から2003年までの11年間、アポ無し企画や極限まで体を張った企画が大きな話題となり好評を博した日本テレビ系『電波少年』シリーズ。最高視聴率30%超えを果たした同番組からは数々のスターが誕生してきたが、最もたる人物といえば「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に成功した猿岩石だ。
当時全くの無名だった有吉弘行と森脇和成のコンビ・猿岩石は、向こう半年間のスケジュールが白紙だったことから選ばれ、香港をスタート地点に約半年間かけてイギリス・ロンドンのゴールへと辿り着いた。
旅の軌跡を綴った著書『猿岩石日記』は250万部の大ヒット、シングル「白い雲のように」は120万枚のミリオンセラーを達成。一躍スターダムへののし上がった。
猿岩石にオファーを『電波少年』ではお馴染み"Tプロデューサー"こと土屋敏男。
全く仕事が無かった猿岩石も軽い気持ちで引き受けたと言うが、彼らにオファーが来る前、ヒッチハイクの旅を打診されていたコンビがいた。
6月20日に放送された日本テレビ系『芸人報道』の「第2回事務所サミット」に出演したTAKE2・東貴博が所属事務所・佐藤企画に関するエピソードとして、相方・深沢邦之がTAKE2の仕事よりも家族との予定を優先することを暴露。
元々深沢邦之も妻・田中美佐子も東貴博の先輩で権力が上。
彼があまりに家族を大切にするゆえに起こった現象だという。
その弊害は様々で、主たる事例としてヒッチハイクの旅は当初TAKE2にオファーがあり、彼らで内定していたものの一週間後突如東貴博はマネージャーから「(電波少年は)無くなりました」と聞かされた。
事情を問い詰めると、「深沢さんが美沙子さんと一緒にいたい」と漏らした為、オファーを最終的に断り、猿岩石に話が流れたというのだ。
もしオファー通りTAKE2がヒッチハイクの旅に挑んでいれば、番組の歴史が大きく変わっていたであろう。
"二発屋"として再ブレイクした有吉弘行も全くの無名芸人のまま芸能界を去っていたかもしれない。
TAKE2は現在事実上の解散状態でコンビ仲は最悪と言われている。
自分達が大ブレイクするキッカケとなるはずの仕事が深沢邦之の一言でオジャンになったのだから、東貴博が相方を嫌うのも致し方無い。
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