木村沙織がスパイクを改造して失敗、そこから導き出した答えとは!?
日本女子バレーボールチームでロンドン五輪におけるメダル獲得のカギを握るメンバーといえば、エース・木村沙織だ。彼女が2012年に懸ける意気込みと経緯がNHK BSプレミアム『アスリートの魂』で紹介された。

2004年、当時17歳でアテネオリンック最終予選で全日本代表に招集されるとスタメン出場を果たし世界の強豪国相手に活躍。"スーパー女子高生"の呼び名が付けられ彼女の名は全国に知れ渡った。
彼女の活躍もあって日本代表はオリンックに出場。5位入賞を果たす。高校3年生だった木村沙織は夢の台に立てたことでバレーボール人生に満足していたという。

ところが決勝戦でロシアVS中国の試合を見て、世界トップレベルの戦いに衝撃を受けた。「五輪でメダルを取りたい」との願望が彼女の心のなかに芽生えた。
木村沙織が名実共に全日本のエースになったのはおよそ3年半前。2008年12月に代表監督に就任した眞鍋政義から、直々に"エース"と指名を受けた。

2010年に開催された世界バレー日本代表は32年ぶりにメダルを獲得。結果だけ見れば素晴らしいのだが、木村沙織は満足出来ていなかった。自身のスパイク決定率は40%台で世界トップクラスの選手は50%を超えている。また、相手チームの長身ブロッカーに苦戦する場面も見られた。僅か数%の差もオリンックでメダルを獲得するためには超えなければならない壁となる。

「世界一のスパイカーになれ」という眞鍋監督の言葉を受けて、木村沙織スパイクの改造に乗り出す。従来よりもタイミングを早めて、相手ブロッカーが揃う前に打つ作戦だ。
低い軌道のトスを打つ練習を重ね、Vリーグ本番に臨む。しかし調子が上がらず決定率も悪い。試合途中で従来の高いトスに戻すとようやく調子を取り戻し、得点を重ねた。

木村沙織は気付いた。「高い位置からだと相手の穴を見つけることができるが、速いトスだと見つける余裕が無い」と。コースを突くスパイクが持ち味の木村沙織が、自分の持ち味を失いかけていた。
悩みに悩んで末、「速さにこだわるより選択肢を駆使する自分のスタイル」を取ることを選んだ。速く打つことに拘って決定率を下げるよりも、着実に決められるときに決める選手になろうと考えた。自分の持ち味をさらに磨いて世界と戦うことになった。

速いトスに取り組んだことで、むしろ木村沙織は自分のスタイルを明確にしたという。試合の要所で彼女がポイントをとるスタイルがVリーグの所属チーム・東レアローズで確立し、それが全日本代表でも活きてくるはず。
5月から始まる世界最終予選、そして五輪本番木村沙織が世界一のエースになった時、彼女たちの胸には黄金のメダルが輝いているかもしれない。
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